むしめがね

生活のこと、旅のこと、人々のこと、考えたこと

時間と生活

10月30日、生まれて初めてサマータイムの終了を経験した。
まったく場所を移動せず1時間分の時差が生じるのは、かなり不思議である。
たとえば、体感的には8時30分だが、これまで通り時計の針が7時30分を指すころにはカフェテリアが開く。のんびり寝たはずなのに、朝一番の図書館の開館に余裕で間に合う。体の感覚と、時計の針が、ずっとずれたまま1日が動いていく。

 

礼拝の時間は変わるのだろうかと思い友人に質問してみると、「礼拝は太陽の動きに合わせることになっているから、1時間ずれる。たとえば、これまで朝の礼拝は6時だったけど、これからは5時になるよ。」とのこと。

 

1時間ずれたとしても、時計ではない何かを基準にこれまでの生活を刻み続けていく人びとの中にいる、というのは、違和感を抱えたままの私にとって、なんだか時間の示す意味が相対的になる感覚があって、面白い。

 

日本では基本的に時間の基準は一年中同じである。毎日繰り返される生活の中で、例えば朝6時には「起床する」という意味が、昼12時には「食事をする」という意味が、ただ時間を示す記号である以上に染み込んでいるんだな、と思った。