むしめがね

生活のこと、旅のこと、人々のこと、考えたこと

ダメなところを笑うこと

幹事をやることが結構ある。しかし、何回やっても全然上手くならない。

バーベキューの幹事をしたときは、ただ会場を予約すればいいだけのことなのに、何時までか確認するのを忘れてしまい、参加者全員に、火起こしから終了まで2時間の、エクストリームバーベキューを強いてしまったりする。(その時は結果的に延長できた)

遅刻者なんて出ようもんなら、万事休す、思考停止である。飲み会で、ほぼ全員揃い飲み物も頼んだ時点で、あと一人道がわからなくて遅刻しているということがあったが、そういう時、先に乾杯しちゃった方がいいのか、その人を待った方がいいのか、はたまた迎えに行くべきか、ぐるぐると悩む。衝動的に迎えに行ってしまい、帰ってきたら先輩がテキパキ仕切ってくれていて、乾杯の後だったこともある。

もっとさかのぼれば、高校時代は、学級委員長だったのに、出発前日修学旅行のしおりを学校に忘れてしまい(正確には同色同形のクリアー数学1Aの解答集をしおりだと信じ込んで持ち帰った)、京都に向かう新幹線の中で、みんながUNOを楽しむのを横目に、大学ノートに行程を丸写しする羽目になるし、挨拶をよくするからという理由で先輩方に任命された部長は、ほんとうに一個も上手くいかなかった。コーチが来校する日を間違えて記憶したまま練習を組んでしまい、引継ぎはどうなってんだと問題になってしまった結果、学年全体で会議を開かれたこともある。小学校の時も我ながら真面目で優等生キャラだったと思うのに、何故かしばしば宿題を家に忘れた。

そんなわけで、私の失敗で周囲にかけた心配・迷惑・負担は、数知れない。

しかも、失敗したと分かると、わるいことに瞬間的に気分がどん底に落ちてしまう。何回同じ失敗をしても、毎度同じように落ち込む。この世の終わりみたいな気持ちに、何回もなる。冷静にどうしたらいいか考えて行動したほうがよいのだと、頭ではわかっていても、どうしても思考停止し涙がつーっと流れてしまうのを止められなくなる。感情を抑えられない、というのは大人になればなるほど、ちょっとまずい

 


そんなへっぽこな私の唯一の救いは、ありえない程簡単に凹む一方で、なんだかんだ最終的には復活するのが得意なことにある。熱を感じやすく、喉元を過ぎやるのには時間がかかる方だと思うが、納得いくところまで過ぎ去ると、次は立ち直り作業に移り、どうしてそれは熱かったのか、これからどうしたらいいのかをじっくり考える。そして、少し時が経つと、それを笑い話にする。

自分の失敗を笑い話に出来るのは、それを笑って許してくれる周りの人がいるからである。

特に、我が両親の影響は大きい。二人とも教師なのだが、特別支援に勤める体育教師の母は、ユニークな生徒さんたちや、彼らが起こした珍事件をチャーミングに話す天才だ。理科の先生をしていた父は、娘の私がちょっと心配になる程忍耐強く、得意の冗談を交えながら、私が納得するまでうんうんと話を聞いてくれる。

私は一人っ子なので、そんな二人を独り占めできる。


失敗遍歴を振り返ると、これはもしかしたら、わたしは発達のバランスがあんまりうまくないほうなんじゃないかと思う。が、できることなら劇的に、それは無理でも少しずつ、精神的な復活だけじゃなく、実際に起きてる問題にも、だんだん上手く解決できるようになれたらいいなと思う